昨日遊んでいた友達が、今日焼死体になっている・・・そんな戦時中に子ども時代を過ごした入川氏は「生きているだけで儲けもん」という気持ちがずっとあったという。
だから、仕事人生の終わりに命の終わりがやってきたことをとても幸せに思い、唯一恐いことは記者会見までしたのに予定どおり「死ねない」こと。
とても清々しい気持ちで、この本を執筆されていたことが伝わってくる。
70代独居老人が末期がんを宣告されてどのように最期の半年を過ごしているか・・
将来ひとりになる可能性が高い私としては、とても興味深かった。
しかし、氏のように50年以上貫き通しやり通した(やり通す)仕事もない私には氏のような境地にはなれないかもしれないな。
でも、「もう十分だ」と言えるようにこれから過ごしていきたいと思った。
入川氏が「無縁社会」について書かれているところに強く同意。
孤独死(孤立死)について・・・
『「無縁の老人たち」と、ひとくくりで論評してもらいたくはない。すべてが違った人生で、一人ひとりにストーリーがあったことをすっ飛ばして「かわいそうな独居老人」とみなすのは間違っています。
「無縁」になるまでのストーリーこそが人生なのであり、その最期だけをとりあげて「かわいそうだ」などと騒ぐのは、失礼な話だと思います。』
かわいそうな方ももちろんいらっしゃるとは思いますが。
入川氏は「自主葬のすすめ」という本も書かれ、葬儀・告別式の手配も済まし、自分で吹きこんだ「般若心経」を自分の葬儀・告別式で流す・・というプロデュースまで事前にされている。「自主葬のすすめ」はこれから読むが、そういうところも見習いたい部分である。
ただ・・
入川氏は三度の結婚離婚を経て、5人の子どもと5人の孫がいらっしゃる。
いくら葬儀等の手配まで自分で済ませても、死後事務(例えば「死亡診断書」は遺体と一緒に動かさねばならない等々)は自分ではできない。私はそのあたりもちゃんと手配せねばならない(司法書士会等の第三者と任意後見契約の他に死後事務契約を結ぶのだ)。
そう思うとやはり、本当にひとりで最期を迎えるよりは「安心感」はあったんじゃないかなぁ〜なんて思うのですけど。
だめ?
だから、仕事人生の終わりに命の終わりがやってきたことをとても幸せに思い、唯一恐いことは記者会見までしたのに予定どおり「死ねない」こと。
とても清々しい気持ちで、この本を執筆されていたことが伝わってくる。
70代独居老人が末期がんを宣告されてどのように最期の半年を過ごしているか・・
将来ひとりになる可能性が高い私としては、とても興味深かった。
しかし、氏のように50年以上貫き通しやり通した(やり通す)仕事もない私には氏のような境地にはなれないかもしれないな。
でも、「もう十分だ」と言えるようにこれから過ごしていきたいと思った。
入川氏が「無縁社会」について書かれているところに強く同意。
孤独死(孤立死)について・・・
『「無縁の老人たち」と、ひとくくりで論評してもらいたくはない。すべてが違った人生で、一人ひとりにストーリーがあったことをすっ飛ばして「かわいそうな独居老人」とみなすのは間違っています。
「無縁」になるまでのストーリーこそが人生なのであり、その最期だけをとりあげて「かわいそうだ」などと騒ぐのは、失礼な話だと思います。』
かわいそうな方ももちろんいらっしゃるとは思いますが。
入川氏は「自主葬のすすめ」という本も書かれ、葬儀・告別式の手配も済まし、自分で吹きこんだ「般若心経」を自分の葬儀・告別式で流す・・というプロデュースまで事前にされている。「自主葬のすすめ」はこれから読むが、そういうところも見習いたい部分である。
ただ・・
入川氏は三度の結婚離婚を経て、5人の子どもと5人の孫がいらっしゃる。
いくら葬儀等の手配まで自分で済ませても、死後事務(例えば「死亡診断書」は遺体と一緒に動かさねばならない等々)は自分ではできない。私はそのあたりもちゃんと手配せねばならない(司法書士会等の第三者と任意後見契約の他に死後事務契約を結ぶのだ)。
そう思うとやはり、本当にひとりで最期を迎えるよりは「安心感」はあったんじゃないかなぁ〜なんて思うのですけど。
だめ?
その時は、笑ってさよなら |
コメント
コメント一覧 (6)
>(司法書士会等の第三者と任意後見契約の他に死後事務契約を結ぶ)
死んだあとの雑務って、何かと多いですが、これなら安心。
最近は、身内(どこまでを身内というかわかりませんが)でも、葬儀は勿論、何もかかわりあいたくないと言う人もいるみたいです・・。
後始末手配はいいけど、ご自分の葬儀までプロデュースって、いうのは、ちょっとパフォーマー過ぎかなぁって、つい思っちゃいました。
私自身は遺体の処理(火葬)さえしてくれたら、セレモニーはいらんと思っています。
しかし、「残った人」が、いるので、それで気が済まないでしょうね(苦笑)
契約、ボケる前にやっとかなアカンというのが大事ですね(笑)
入川さんはやはり俳優なので、パフォーマーとなるのは仕方がないかもしれませんね。
文中では、少しでも親族の負担を軽くするために・・とありました。そういうお気持ちだったのだと思います。
ワタシも火葬だけでいいです・・というかそうします。残る人もいないので、その方がいいと思います(笑)
2時間くらいで読めてしまいますよ。
なかなかこの境地で死を迎えられないかなぁと思います。
ただ、入川さんの本当の本当に間近に死が迫った時の気持ちはどうだったか?は知る由もなく・・
笑ってさよならできたのかなぁ。
入川さんの心境、納得できる部分も多々ありますが、ひとつの仕事を50年以上貫き通せた(ある意味、「役者」という恵まれた)人だから使える表現もあると思いました。
もちろん下積みの辛い時期もあったでしょうが…
世の中の人が皆「もう思い残すことは無い」と自分の人生に満足できているわけではないと思うので。
死ねないことが一番怖いというのは、リップサービスでしょうが、障害や病気と闘いながら必死で生きようとしている人が読まれたら、どう受け取られるかな〜などと思ったり…
いずれにしても、私もこれから社会人になる息子達が県外でも国外でもとにかくきちんと就職して自分の人生を歩んでくれれば、後は先祖のことだけ大切にしてくれたら十分です。
私の実家があることで、就職や何かの決断の際、変に足かせになったりしないように、自分の代で実家も含めて身辺を身軽にした方がいいのでは??と、ここ1〜2年真剣に考えるようになりました。
老後も子供の世話になろうなどと期待していません。お荷物にならずに歳を取りたいと思っています。
たしかに50年以上も同じ仕事を貫けるというのは珍しい事だと思います。
私はたくさん転職をしている方だとは思いますが、もともと凡人の自覚がありますのでそれはそれでよいかと思っています。
死ななかったら怖い・・これまた俳優さんという職業柄でしょうか。
記者会見までして死ねないのが怖いというのは、「転校する!」と言って泣きの涙でお別れ会をしてもらったのに、お父さんの転勤がなくなってしまった時のバツの悪さに似ていると思います。最期の入院となった時、死を間近に感じて本当に怖くなかったかどうかは、本人にしかわかりませんし・・。
今、世話になるつもりはさらさらなくても・・・こればっかりはどういう状況になるかはわかりませんね(失礼な言い方かもしれません、ごめんなさい)。
親御さんの思いとは裏腹に、子どもさんは世話をしたい!と思うかもしれません。
世話をかけなくても、死後の事務処理は絶対に必要なわけで、それをしてくれる人がいるだけでも心強いだろうなぁ・・と、子どものいない私は思います。
うちの母は「あんたに迷惑はかけない。」「面倒かけない。」と言っていましたが、晩年「やっぱり現実問題世話にならなしゃーない。」と堂々と言いました(苦笑)