写真 001ちょっと部屋の片づけをしていた。
親は写真を整理しきれなかったと見えて、【バラ】がやたら多い。

こんな時代もあったね〜
兄二人と私。笑ってるやん次兄(=Oと今まで書いてきたが、修と本名を書いても差し支えないだろう)。

私が高校生の頃、ピアノの練習をしている部屋に、母が急に入ってきて手紙を私に握らせ、「後で読んでな」と言った。
思春期において、(次兄の病気のせいで)かなりツライ思いをした私は、このころ次兄のことが嫌で嫌でたまらず、どうしても次兄に対し冷たくなるので、母がこういう手紙を書いたのだった。

私は返事を書いたのか?
覚えていない。

捨てられずに持っていた。
けど、もう捨てようと思う。

この手紙を私に託した母はもういない。

亡くなる数か月前に母が言った「修はもう私の手から離れた。
・・この言葉を私は一生忘れない。

私は私のやり方で、次兄をサポートする。

手紙の内容。このころ次兄は20歳くらいか?

修の事で何時も協力して貰って感謝しています。
本当なら貴女の事も気をつかって上げなければならない時なのに気持のゆとりがなくてごめんね。
修の病気は疎外感が根本的な原因の様です。・・・・・・中略・・・・・・。今は出来るだけ病的な修を目立たせない様にするだけしかありません。
私はせめて家族の中だけでも疎外感を持たせない様にしたいのです。
友達に求められない物を少しでも家族でうづめてやりたいと思います。
専門家でない私の考へは間違っている所もあるかもしれませんが。
私も時にはおこりますがどうしてもこちらの云う事を聞いてくれない時には仕方がありません。
修が話しかけたらおだやかに返事してやって下さい。出来る事は協力してやって下さい。無理はしなくてもいゝですが、私の心からのお願いです。


母はこの気持ちをいつまで持っていたのだろうか。

私が実家を出てからしばらくして、両親は次兄を実家から少し離れたマンションに一人で住まわせた。次兄40代前半のこと。
次兄としても自立したいという気持ちはもちろんあったと思うが・・・両親はそれに託けて、なるべく次兄と接しない様にしたかったのだと思う。

母が亡くなる直前、もう意識のない時−−やはりこの世に思いを残させるのはかわいそうだと思い−−自分の手から離れたと言ってたんやから、そんな心配しなくてもよかったのに

お父ちゃんと修のことは心配せんでもいいからな。

な〜〜んて言ってしまった

本当は・・・母が次兄のことを心配して心配して、それでも先に逝かないといけないから、「修のことよろしく頼むな。」って私に言ってくれる日を待っていた。

そうしてくれていたら・・・
私の最近の不調はなかったのかもしれない。
母に言いたい事を言えずに終わってしまった、もう言えない・・・ということが私を苦しめる。

私がAC(アダルトチルドレン)かどうかはわからないが、ACを作るのは圧倒的に母親だそうだ。

私はこの手紙を処分して、自分を変えなければいけない。
いつまでも、問題を先送りしてきた両親や、すべてを私にまかせっきりにしようとしている長兄のせいにしていてはいけないのだ。

自分が変わらなければいけない。
そうしないと、私のこれからが楽しくなくなるっ(笑)

難しいけどがんばる
追記:

2013年1月3日(木)処分した。
バイバイ

お正月 001