というわけで、まとめてみる。

私の次兄は1962年生まれ、もうすぐ51歳。統合失調症患者。

1978年夏〜秋? 次兄、高校2年生、家出騒動を起こす。
目覚めると両親がおろおろと電話をかけまくっていた。この日からすべてが始まる。
長兄はすでに東京で大学生。


1979年5月 高校3年生の時、初めて病院(精神科)へ。
不登校、モノ壊す、大声出す、メチルアルコールを飲んで自殺未遂、入院。

1981年3月 高校卒業(1年留年)。
2回目の3年生の時、やらんでエエのに文化委員長になってしまい、文化祭の準備等々で周囲から浮きまくる。
人の立場に立てない、雰囲気を読めない、すべて真に受ける、融通がきかない・・といった(今思えば)典型的な発達障害の特徴が文化委員長というコミュニケーションが必要な場で際立ってしまったのだろう。
本人(として)は、ここで大きな屈辱を味わう。その傷が30年以上たった今でも癒えずに、医者と話していてもすぐにこの時代に返ってしまう。


1981年4月〜1983年3月 浪人生活
最初の9ヶ月本人たっての希望で東京の予備校へ(主治医は猛反対)。案の定ハチャメチャになって帰ってきた。
精神科への入院はゆくゆく本人の心の傷になると、母親が絶対にさせなかった。
その分、私にも多くの傷が残ったワケだが(笑)


1983年4月 二浪の末、大学へ入学。卒業に7年間を要することとなる。
28歳で卒業。

1990年6月〜1991年12月、1993年5月〜1997年3月 知的障害者向けの作業所通い。
この作業所は母が親戚に紹介してもらった2か所。家でじっとしているよりはマシと思ったのだろうが・・・次兄にとってよかったとは思えない。親の努力、ここまで。
その後、特に何をするわけでもなく過ごす。調子よくなったり悪くなったり・・

1997年9月 私、実家を出る。

2005年頃? 実家の近所に親が中古マンションを購入、次兄にあてがう。
自立の一歩と考えたようだが、何か訓練とか、援助することもなく、ただ一人寝泊まりをさせていただけ。

2008年2月 母死去。

2009年7月 母の死後から徐々に症状悪化。
何を思ってか東京に行き、警察から父に電話がかかり迎えにいったのもこの頃。挙句の果て、上記マンションにて騒ぎ(幻聴・幻覚による)を起こし警察に保護される。
現在、通院している病院を紹介してもらい初めての入院。

2009年12月 退院。
実家にて父と二人住んでくれることを願ったが、父がそれを望まず、父の亡き姉夫婦の家を譲り受けていたので、そこへやはり一人で住まわせた。その代わり父が毎日通っていた。
また、障害者年金についていつの間にか親が管理しなくなっており、かなり散財していたことから、妹である私が保佐の申し立てをすることとした(本人に不利な契約をした時などに取消しできるよう)。

件のマンションは損を出して売却、もったいない話。

2010年5月 保佐開始。

2011年1月 訪問看護開始(私が手配)。

2012年2月〜3月 症状悪化し入院(2回め)。
国民年金の障害状態確認届用の診断書、予後の記載欄。
「顕著に改善することは期待しがたい。」

2012年10月2日 包丁で自殺未遂。救急搬送された数日後、主治医のもとへ転院(入院3回め)。
現在に至る。

2012年12月 主治医より「発達障害」の傾向があるという話あり。

そんな〜〜