2014年最後に読んだ吉村昭先生の作品は、「真昼の花火」だった。
奥様である津村節子氏が対談本の中で、吉村氏は短編が好きだった・・というようなことを話していらっしゃったので、時々短編集も読もうと思い図書館で借りた

この短編集は四つの作品からなっているが、表題作の「真昼の花火」がいちばん長くて、これは中編だな〜。
時は昭和30年代か?主人公の【私】は大手繊維会社に勤務し、化繊わたの洋風ふとんの販売宣伝に関わっている。そして、【私】の家業は「ふとんの打直し屋」で、父と後妻と弟が営んでおり、【私】は家族の仕事を奪うような立場にいるのだ。
【私】は会社でどんな仕事をしているかを家族に言えないまま(対立する打直し業者団体にはバレたところで)・・・結局、家を出てしまうのであるが。

結末はけっこうヒンヤリもの

この小説を読まなければ思い出さなかったこと。ふとんの打直しである。

昭和41年生まれのワタシであるが、親が「打直し」という言葉を口にした記憶はない。でもどっかで・・?
そうか、伯母である。亡き母の三つ年上の伯母がワタシが家を出た時or結婚した時に、(おそらくほぼ未使用の)ふとんがあるからあげる・・・と母に言ってきて、敷きぶとんを一枚もらったのだった。

その時に打直しせなあかんからちょっと時間がかかる・・というようなことを聞いたのだ。
ちゃんと打直しをして表の布も新しくしてくれたんやなぁ・・と15年か20年たった今、ようやく知った。

伯母は実家で父母(ワタシの祖父母)と暮らし農協勤めだった。父母亡き後は独りで暮らしていた。子どもの頃は夏休みに母に連れられて行って、けっこう長い期間過ごしたものだ。従兄も来ていて楽しかったなぁ。子供の頃:上林の川

京都府綾部市の上林というところなので、「かんばやしのおばちゃん」とその頃は言っていた。

夏休みは遊びに行ったが、伯母は京都(市内)に来た時は必ずウチに泊まりに来た。狭い家でなんとなく窮屈で、ワタシはそれほどうれしくなかったような

そして、子どものワタシが何よりも嫌だったのは、上林でも自宅でも、ワタシが「おかあちゃん」と母を呼ぶと必ず「ふん?」と先に伯母が返事をすることだった。子どもやし〜(なんでおかあちゃん違うのに返事すんのん?)と思っていた。

伯母は、夏休みに泊まりに来る甥や姪を自分の子どもみたいに思ってくれていたのかな・・・「母」になりたかったのかな・・・と、今は思う。

70歳の元気なうちにケアハウスに入り、母が亡くなった時には82歳だった伯母はその後脳梗塞で入院し、高齢の伯父がお見舞いに行っている・・ということだった。それもすでに6年くらい前の話。
そしてその伯父も亡くなり・・おそらく従兄が後を継いでくれているのではないかと思っている。
ケアハウスの契約書の保証人が妹であるワタシの母だったから。もし、必要であれば父に連絡が入るはずだ。

母は生前「もし私が先に死んだら、キクちゃんのことも見てあげてや〜」なんて言っていたが、ワタシはノータッチである。
父に時々、「キクコさんはどうしたはるんやろなぁ・・」と言われるが、(あなたに情報がなければワタシに直接入ることはないでしょーよ!)と冷たく思ってしまう。

おばちゃん、ごめん。きっとこのまま会わないままやと思う。
あのふとんもだいぶ前に処分してしもたよ。「綿花わた」やったんやね。