20日に前乗り。21日〜23日お仕事

今日は順調に仕事が進んだので、15時30分には自由の身に(笑)

イロイロと行って来ました。

まずは・・
入り口
赤れんが博物館の前にちょっとした小山にある公園に。結構イイ運動に〜
公園からの眺め。
公園から
舞鶴東港を臨む。

そして、赤れんが博物館。れんがの歴史がここに詰まってます
赤れんが博物館
世界のれんが、日本のれんが。イロイロと展示されていました〜。各地の集治監にもれんがが使われていたのですね〜。樺戸集治監のことも展示されていて・・・
なんと!吉村昭先生の「赤い人」(おそらく初版本か)が展示されており感激

パンフレット↓
パンフレット
現在、赤れんが博物館から6km離れた舞鶴引揚記念館がリニューアル工事中で、すぐ近くに展示物が来ていたのでそちらも見学。
それにしても暑いくらいの晴天でした
青空

引き揚げ

パンフレットから引用してみましょう。
引き揚げと舞鶴港
昭和20年(1945)第二次世界大戦の終結にともない、当時海外に残された日本人は660万人以上ともいわれ、これらの方々をすみやかに帰国させなければならなくなりました。これを“引き揚げ”といいます。
舞鶴港は、政府が指定した引揚港の一つとして、昭和20年10月7日第一船の入港から、昭和33年(1958)9月7日の最終船まで、実に13年間の長きにわたり、その使命を果たしました。(後略)


戦争はもちろんのこと、その後の満州からの引揚げ、シベリア抑留とシベリアからの引揚げ・・忘れてはいけない歴史がありました。
かの「岸壁の母」のモデルとなった端野いせさんが息子へ充てたハガキや、当時の柳田市長が昭和24年6月23日に出した回覧文が心に残ります。

回覧文抜粋↓
何よりも大切なのは駅へと行進するときやトラックで通過するときには、路上であっても田畑で作業中であってもハンカチや帽子を振ってもらうことが一番引揚者を喜ばせる。また、入港の回数を重ねるごとに歓迎が次第に寂しくなってしまわないように、今後も変わらない気持ちで迎えて欲しい。

そして、「これまでの市民の援助に対して感謝する」と結んでいます。
当時はまだまだ市民の暮らしも苦しかったに違いありません・・・

子どものころに流行っていたので知っていましたが、久々に聴いて泣いてしまいました


ホテルの部屋から夕焼け(窓ガラスの汚れがちょっと
夕暮れ