(私の備忘録として書き留める)

父、昭和3年10月生まれ88歳。妹であるY子さん(私の叔母)が、先日86歳で亡くなり昨日告別式。
6人兄弟姉妹は昔にありがちな、長女S枝さんから末子のY子さんまで20年以上の年の差が。年が近い父とY子さんは晩年こそ会う機会は減ったけど仲がよかった・・


最初は父ひとりでと思っていたが、京都駅もA駅も昔とは全然変わってしまったし、酒を飲むと他の親戚にも迷惑がかかる。
長兄は東京で仕事なので、研修予定だった私が研修を諦めて付き添うことに。40年〜50年(私生まれて以来会っていない(笑))ぶりのいとこにも会えるし、ま、いいか。

7月26日(水)
朝9時過ぎに実家へ父を迎えに行く。25日(火)夜にセッティングしたカバンから他のカバンにチェンジしていて、私「数珠は?」「数珠は〜ああここにはまってる(笑)」と手首の数珠ブレスレットを指さす父。結局新しいカバンにちゃんと入れていた。
案の定、香典袋が「御仏前」。持って行った「御霊前」に取り換える。

■実家にタクシー到着。いつもの場所に実家の鍵がない。「鍵は?」「えーっとどこやどこや」焦る父。しょうがないので、私が持っている鍵で施錠。その鍵を父に渡す。

玄関で靴を履く父を見てガックリ。地味だけど色柄物ソックス履いている・・

■JR車内で次は「切符がない」と父。私が買って父が右ポケットに入れるのを見届けたはず。が、ない。しばらくして「あったわ」と左の内ポケットから切符を出す。だからなんで入れ替える?で、元あった場所を探す?

■早めにシティーホールに到着。控室でいとことの久々の対面。思い出話をしているところで、父は何度もカバンから香典袋をちらちら出しては入れ出しては入れ・・「いつ渡したらええんや」ひそひそ。

告別式も終了し、出棺前の涙のお別れ。父も「ありがとう」とY子さんに。ここまではよかった。

■斎場(火葬場)へマイクロバスで移動。
マイクロバスを降りた瞬間、斎場前の別の家族に合流しようとする父(前の人になぜついていけない?)

骨上げまで2時間あるので、シティーホールに戻る。

このタイミングで会食。会食前の隙間時間に、「香典はお断り」だったので受付では渡すのを控えていた香典を年長のいとこが「親戚だけだし、ここは顔を立てて・・」みたいな感じで受け取ってもらうことに成功。私たち若手もそれに続く。

あれだけ何回も香典出し入れしていた父も、その流れに乗っかっていると思いきや・・

■会食前、喪主N子さんの挨拶。時に涙交じりに「自分は何もしなかったけど、妹夫婦がよくやってくれた(私と一緒!)」妹さんも涙・・の間にもバッグをごそごそして落ち着かない父

■会食スタート、と父が「香典がない。」皆「さっきみんなで渡したよ!」・・・・「あ」と出てくる香典袋。なぜあの流れの中で渡さない?

結局、別のテーブルの喪主N子さんに渡しに行く父。出し入れずっとしているから香典袋くっしゃくしゃ・・・父が自席に戻ってから丁重にお詫び。

■テーブルの上にはビールを始め各種ドリンクが・・
父は酒が入ると絶対だめ(酒の失敗多数)。私が「お父ちゃんビールはアカンで」と言っても「このくらいだいじょうぶや!」と飲む気満々!

そこで、ノンアルコールビールを父にドンドン注ぐ作戦。父コロっと騙され、最後は手酌でガンガン飲んでいた。

「鍵がない」と父。さっき自分で「こっちに入れとく」とカバンのポケットに入れていたのに・・見ると、数珠ケースに入っている。自分で色々と移し替えては元あった場所を探す父。

■再度マイクロバスで斎場へ向かう。まだ時間があるので奥の控えロビーで待つ。父、ノンアルビールの影響でトイレ近くなる。

父トイレへ立つ。普通絶対に迷わない入口−トイレ−ロビーの位置関係。もしやと思い見に行くとやはり父は入口近くの他の家族の方へと歩いて行こうとしていたので呼び止める。

骨上げ。ここで父、エンジン全開。皆が一歩下がって見ているのに、ひとり台の上に肘をついて身を乗り出す。

去年骨折されたということで金具が太もものところに・・それを見ながらお箸で金具を指し、喪主の妹さんに「これは・・これは・・?」と何度も聞く父。

妹さん最初は丁寧に「母は去年骨折して、ボルトを入れていたんです」父「これは・・これは・・骨ちゃうね?
妹さんイラッとした表情で「そうです、だから入れたらダメなんですっ」と。ほんと、すみません・・・

のどぼとけの骨を入れて・・の最終局面でも父はお箸で近くのお骨をつんつん、つんつん。そのうち係の人が全員のお箸を回収してくれてホッ・・

その後もみんな神妙に、一歩引いたところで説明を聞くが・・ひとり台の近くでお骨を見ている父
仲の良かった兄妹、しっかりお別れさせてあげたいので、口出し手出しせずに放置した私が悪いのか。父を注意したり、引っ張ったりしたら父が「!」と不機嫌になるかもしれず、儀式が台無しになってしまう・・・

■シティーホールに戻りそのまま初七日。席に着くと正面には微笑むY子さんの遺影とお骨が置いてある。父が座って
「あ〜あの写真見たらホッとするわ・・」と。喪主のN子さんが向こうで父の方をパッと見たのが視界に入った。良い意味だと思ってのことだったのだろう、でも続けて父は
「あんな骨ばっかり見て※◆△◎・・」(語尾不明)父、なぜか笑顔。
私小声で「こらっ」と父を黙らせる。でも、聞こえてるよね。N子さんこっち向いてはったし(涙)

■タクシーでシティホールを後にする。A駅で父他私たちいとことその子供、計7人でホームへ。階段を下りていると後方から「おじさん、手すり持って」という声が・・振り返ると

そう言われるとますます階段の真ん中で、足をゆっくり確実に上げて下ろす父が。見ろ、ワシはこんなにしっかり歩けるぞ、階段も下りられるぞとばかり・・・通勤(帰宅)時間帯に入っているので、後ろの人に迷惑よ。

■ようやく京都駅に到着。祭壇に供えられていた缶詰、果物、ゼリーを分けて袋詰めしたもの、ふたり分持ってひぃひぃタクシー乗り場へ向かう。

父「ウチでちょっと休んでいくやろ?」私「休むかーーーーっ!!!」

父をタクシーに乗せ果物袋もひとつ放り込み、行き先を運転手さんに告げて見送る。私はそのまま京都駅から大阪へ帰る。
朝8時〜夜8時。大阪〜京都実家〜兵庫〜京都駅〜大阪・・・帰宅後、チューハイがぶ飲み。

認知症の入り口状態?専門用語があったと思うが。できることもまだまだあるが、今回は到底ひとりでは行かせられなかった。
父と一番仲良くしてくれている私の年の離れたいとこに「今日はAYAちゃん来てくれてほんまによかったわ」と何度も言われた。

当時90歳で母の一周忌に来てくれた母の兄(私の伯父)はこんなことなかったなぁ。なんで↑↑あんなに情けない人なんやろ。次兄の発達障害はこういう父からのDNAが「濃く」作用しているのではないかと常々思っている。父のアホさ加減(←娘だから言えるのです)は、加齢だけとは思えない。

父にとっては不幸なことでかわいそうなことなので言ってはいけないのだろうけど、早く骨折でもしてくれたら楽なのにと思う自分がいて、その思いが私自身を傷つける。とにかく、1日・・・

しんどかったよぉ〜( ;∀;)

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