若い頃から「その気(け)」はあった。母に相談なく退職金でセカンドハウスを買い、物でいっぱいにしていた。母亡き後、自由に物を買ってくる父。洋服、ちょっとした小物、本、100均グッズ、食べ切れない食料品、靴も傘も山ほどあった。
週2回実家に行った時に捨てたり、使えそうな物を持ち帰るが追いつかず、ごみ屋敷寸前の実家に何度も夫を動員してクリーンセンター(ゴミ処理場)に持ち込んでちょっとスッキリさせる。それでも父は買ってくる。私片づける、捨てるの繰り返し。
そう・・いたちごっこ
8月6日に父が転倒して入院し、当時思ったことはこの「いたちごっこ」からようやく解放されるのだということだった。

甘かった。帰宅願望・・・

8月23日にリハビリ病棟のある病院に転院してからそれは始まる。
父は「荷造り」をするようになった。最初荷物を持って行ったボストンバッグに。それを私が持ち帰っても、洗濯物入れに、紙袋に、袋状の物があれば病室の備品でもガンガン詰め込む。

それがわかっていたので、10月1日のサ高住への引越し時に父に持たせたのは小さいリュックひとつ。入居後しばらくして始まった・・・荷造り。
小さなリュックがパンパン。新聞の整理袋(ビニール袋)パンパン。クローゼットの小物を整理するための小さな手提げ袋状の物にもCDを詰め込む。棚を廊下に出して「不用品」の張り紙をする。

いや・・・それだけの整理整頓力をさ・・・家に住んでた時に出せよ!( ;∀;)

また私が袋物は持ち帰ったが、洗濯物を入れるカゴに毎回時計から歯ブラシから目いっぱい詰め込む。
それをもとの場所に戻しながら8月6日に父が自分の過失で転倒し、まだ頭の中には血腫があってひとりでは危ないこと、リハビリが必要なこと、家は段差も大きいこと、寒くなるので冬の間くらいはサ高住に居た方がよいことを話すと、父は納得する(そぶりを見せる)。毎回毎回。

しかし、次に訪ねるとやはりすっかり荷造りして、部屋の出入り口にラジカセや棚とともに寄せてある。直近ではとうとうクローゼットの中の衣類と肌着がすべてテーブル上にてんこ盛りいやがらせか?と思うほど
洗濯物カゴも持ち帰ってしまいたいが、そうすると残る入れ物が「汚染バケツ」だけになってしまい、小物すべてが汚染される危険性があるのでできない。汚染バケツ、わかります?

結局は今の場所の居心地が悪い、逃げ出したいという思い(本能)が力になって荷造りパワーを生み出すしそれをすることで落ち着くのだと思う。また記憶も残らないのでそういうことになる。認知症患者の典型的な行動と思われる。

しかたないけど、しんどーい(笑)またいたちごっこだよぉ(泣)
穏やかに荷解きができる域に私が早く達しないとな・・・
年齢の割に体力あり過ぎてびびる